駅レポート 生駒鋼索線・霞ヶ丘駅
こんにちは。クモミヤです。
今回は生駒鋼索線の訪問記です。
訪問:16.9.6
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高知の旅のあと、18きっぷが余ったので、出かけることにした。
奈良にいたころに慣れ親しんだ近畿日本鉄道(近鉄)が、2016年春から駅ナンバリングを導入した。関西圏の私鉄(大阪市営地下鉄・阪神・阪急・南海・山陽など)に遅れての導入であり、JR西日本の路線記号導入とほぼ同じタイミングである。近鉄は駅名標を駅番号を記載したものに取り換える作業を主要駅から順次行っていたのだが、このたび生駒鋼索線も作業が済んだようなので、久しぶりに行ってみた。
ちなみに、生駒鋼索線へは2009年夏、2010年春、および2011年冬にも訪問している。今回はこの時の写真も織り交ぜつつ紹介してゆく。
奈良県生駒市の生駒鋼索線は日本初のケーブル線である(鳥居前~宝山寺間1918.8.29開業)。1914年に大阪電気軌道が現在の近鉄奈良線を開業させた後、宝山寺の門前町として発展した生駒において、生駒鋼索鉄道が宝山寺参拝の利便性向上のために建設した。後に生駒鋼索鉄道は大阪電気軌道に合併され(1922)、生駒山上まで延伸(1929)、その後戦時中の休止や社名の変更を経て、現在の近鉄生駒鋼索線に至る。(参考:『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』)
生駒鋼索線は宝山寺線(2駅:鳥居前・宝山寺)と山上線(4駅:宝山寺・梅屋敷・霞ヶ丘・生駒山上)の2系統に分かれており、生駒山上へは宝山寺で乗り換えるカタチになる。このうち宝山寺線沿線は住宅が多く、通勤通学の利用客も多い。対して山上線は生駒山上遊園地へのアクセスルートとなっており、同遊園地への訪問客が乗客のメインである。
今回の訪問は余った18きっぷを使うのが目的なので、近鉄奈良線を使わずに、JR大和路線→王寺のりかえ→近鉄生駒線で大阪から生駒に移動。昼食を確保して、ケーブルに乗り込んだのであった。
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鳥居前駅・外観(2009夏撮影)
鳥居前駅は生駒駅と歩行者用デッキで接続されている。今回訪問の際、外観の写真を撮っていなかったので、初回訪問時の写真である。現在も、外観の大きな変化はない。
鳥居前駅・ホーム(2016年夏撮影)
宝山寺線は単線並列である。左が1号線、右が2号線。普段は1号線が使われるが、1号線の点検の際は2号線が使われる。この日は2号線が動いていた。なにげに乗ったことが無かったのラッキーだ。
車両は左がコ11型「ミケ」、右がコ3型「すずらん」だ。ミケは「ブル」と、すずらんは「白樺」と一緒に動く。
鳥居前駅・駅名標(上:2009年夏撮影、下:2016年夏撮影)
上は1号線側、下は2号線側の駅名標。上の駅名標が従来型(とはいえ、当時にしては古いタイプが残っていた)、下がナンバリング導入後の駅名標。起点駅なのに「Y17」なのは生駒駅の「A17」「G17」に数字を揃えているからである。ちなみに、「17」は大阪難波駅からの駅数に一致する。
宝山寺駅・外観(2009年夏撮影)
宝山寺駅はスルーしたのでこの写真で。奥側が山上線、手前側が宝山寺線。
山上線側のホーム(2009年夏撮影)
写っているのはコ15型「スイート」。奥に見える宝山寺トンネルをくぐって山頂をめざす。
写真は少しブレている。技術が未熟なのか、カメラが古かったか(^^;
山上線の0キロポスト。(2016年夏撮影)ホームの下にペイントされている。
ここからは山上線に乗車。宝山寺線よりも勾配が急なためか、車両の傾きも急である。
さて、、これに乗って、あの駅に行こうーーー
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ここで、一度過去のハナシをしよう。
2009年夏、小6の僕は「鉄子の旅(横見浩彦・菊池直江 小学館)」を読み、見事に感化されてしまう。横見浩彦氏は日本の鉄道駅全駅下車を達成した方で、僕はその「駅」にスポットを当てた鉄道旅に俄然興味が湧いたのであった。
その後小遣いをはたいて、まずは地元から、と「生駒市全駅下車」を実行。生駒市内の駅はたったの15駅なので一日で終わったが、ここで鉄道旅の愉しみを覚えてしまったのだ。
ちなみに、その後「近鉄難波・奈良線全駅下車」「近鉄けいはんな線全駅下車」「近鉄生駒線全駅下車」を経て、中1になる春に「奈良県全駅下車」も実行した。最近は「全駅下車」からは遠ざかってこそいるものの、僕の「テツ」成分の基盤は「生駒市内全駅下車」であり「鉄子の旅」である。
(前回訪れた坪尻・土佐北川・新改の3駅も、「鉄子の旅」での訪問順である)
さて、この「生駒市内全駅下車」で生駒鋼索線を訪れたのが、同じく2009年夏のことである。
その時、ある駅を訪れたのが、ある種僕の原点かもしれない。
その駅こそ…山上線の途中駅、霞ヶ丘駅である。
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霞ヶ丘駅(2009年夏撮影)
降りたとたん、衝撃であった。
駅はホームと上屋だけ。近くには踏切と登山道のみ。あとは森、笹、山。人家なんて一切ない。クルマで来れない。ホームは苔むしていて、上屋もなかなか年季が入っている。曇り空も手伝って、空気がよどんでいるようだ。
誰もいない。誰も自分がここにいると知らない。誰にも連絡ができない(当時、携帯電話は持っていなかった)。夏休みの多客期なので宝山寺~生駒山上の「直行」のケーブルこそ走るものの、この駅に停まるケーブルまで40分もある。音といえばケーブルの作動音と蝉の音。本当に人っ子一人いない。見通しも利かない。舗装路もない。…味わったことのない外界との断絶、そして孤独。
…日本全国、探せばここと似た構造・環境の駅はそこそこの数あるはずだ。しかし、初めて生身で体感した小6男子には、「40分も山の中で一人」なのが怖かったのか、それとも自分の置かれた状況に興奮していたのか、とにかく何かを叫びまくっていた記憶がある。…はたから見たら少々小柄な変質者だが。
こうしてこの駅は、一人の少年に並々ならぬインパクトを与えてしまったのであった…
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霞ヶ丘駅(2011年冬撮影)
その少年は、中学生になってもまた来てしまう。が、駅は様変わりしていた。年季の入った上屋は撤去され、苔むしたホームは滑り止めの加工がなされ、LED照明もついた。駅名標も取り換えられた。キレイになっていた。以前のような空気が淀んだ感はない。ホームから青空と生駒の街が望める、開放的な駅になっていた。自身に衝撃をもたらしたあの駅はもう無い。が、ただただ見捨てられて朽ちていくよりも、キレイになって使われる方がいい。少年は妙に納得して山を下りていった。
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霞ヶ丘駅(2016年夏撮影)
そして大学生になって引っ越しもしたのに、また来てしまうのだった。5年の風雨にさらされたためか、滑り止め加工が所々剥げて元々のホームが見えているところもあった。駅名標にはステッカーでナンバリングが施されていた。が、その他変わった様子はない。初めてここに来た時と同じように、蝉が鳴いている。
坪尻での2時間滞在なんてやってのける今となっては、あれだけビビって叫びまくっていた霞ヶ丘40分滞在など、あっという間である。「先月も山ン中(坪尻・新改)に行ったのに、また山ン中…何やってんだオレ」なんて自己の生活を冷静に分析すれば、時間はすぐに過ぎていくものである。
霞ヶ丘第1号踏切(2016年夏撮影)
霞ヶ丘駅の入口横には踏切がある。ここはおそらく「日本一急勾配な踏切」だ。近くの勾配標によると、ここの勾配は333.3‰。‰は「パーミル」と読み、333.3‰は「1000m進むと333.3mの高低差がある」勾配を示す。
そもそもケーブルカーの踏切自体珍しい(構造上、踏板がスキマだらけになってしまうため)。「ケーブルカー 踏切」でググっても近鉄以外のものにヒットしない。近鉄にはケーブルカーの踏切が全部で7個あるが、その中でも霞ヶ丘1号踏切は最も勾配が急である。もちろん普通鉄道の踏切よりも勾配は急(普通鉄道は最急で80‰)なので、ここが日本一ではないか、という論理である。
2枚目の写真は、駅の反対側から撮ったもの。写っているのはコ15型「ドレミ」。なにげにこちら側の灯器が全方位式に交換されていた。
上:コ15形「ドレミ」、下:同「スイート」(2016年夏撮影)
…やはり、誰も降りない。
ちなみに、こちらに片方が停車している間、相方は梅屋敷駅に停車している。
霞ヶ丘駅・駅名標(上から、2009年夏、2011年冬、2016年夏)
霞ヶ丘駅の駅名標変遷である。2枚目のピンボケはご容赦願いたい。
1枚目は2009年のもの。近鉄各駅でホームに自立しているタイプのものにみられるのと同じ、ひらがなが大きく書かれたものだ。デザイン自体は鳥居前駅のものよりも新しい。
2枚目は上屋撤去後のもの。駅ナンバリング導入以前で最も新しいデザインのものであり、かつては上屋にぶら下がっていた運賃表や案内と一体化したものである。梅屋敷駅に同様のものがあるが、こちらには運賃表はついていない。
そして3枚目が駅ナンバリング導入後のもの。ステッカーによる更新なので、地は2枚目のものと変わらない。オレンジ色の線が消えた他、ローマ字表記が小文字交じりのものになっている。近鉄各駅において、主要駅の駅名標や古い駅名標は駅名標ごと更新したようだが、比較的新しい駅名標はステッカーによる更新のようだ。両者は、駅名漢字表記の中心が駅名標の中心にあるかないかで見分けることができる。この記事の、霞ヶ丘の”ヶ”、鳥居前の”居”を見比べてもらったらわかるかと。非常に誰得な情報だが。
このあと、登山道を下って梅屋敷駅へ。山上線に並行して登山道があり、ケーブルを使わずとも生駒山上に行くことができる。舗装もされているのでハイキング感覚で行けるが、森の中を突っ切るので見晴らしは全く利かない。
梅屋敷駅(上:2009年夏、下:2011年春)
宝山寺と霞ヶ丘の間にある途中駅。ここも無人駅だが、付近に住宅が数件あるほか、宝山寺に裏側からアクセスできる。きちんと存在意義のある当駅に対し、霞ヶ丘駅は「梅屋敷駅にケーブルカーが停車している間、もう片方のケーブルカーが停まるところに作った駅」なのである。
2009年に初めて訪れた際は上屋があり簡単な改札の構造もあったが、2010年の夏ごろに撤去工事が行われたようだ。また、なにげに勾配標の数値も小数第一位までの表記になっている。
今回(2016年)の訪問の様子は後述する。
梅屋敷駅では、保線の方がホームの白線を引き直していた。そのため写真は撮っていない。2011年に訪問した時と大きな変化はない。
ここの踏切も駅側の灯器が全方位式に変わっていた。
梅屋敷駅・駅名標(上から、2009年夏、2011年冬、2016年夏)
梅屋敷駅の駅名標変遷。霞ヶ丘と基本的に一緒である。運賃表は駅舎に掲示されている。
梅屋敷駅から生駒の市街地を見下ろす(2016年夏撮影)
霞ヶ丘よりも開けているので、生駒市街がよく見下ろせる。生駒線の生駒~菜畑~一分~南生駒あたりを走っている電車も良く見える。
ここから、ケーブルで生駒山上駅へ。
生駒山上駅・駅舎。(上:2009年夏撮影、下:2016年夏撮影)
駅の看板が変わっていた。ローマ字が小文字交じりなので最近更新されたのだろう。
生駒山上駅・ホーム(上:2009年夏、下:2016年夏撮影)
ホームに大きな変化はない。今回の訪問時は片面のみを使っていた。
ここは駅名標ごと取り換えたようだ。以前の駅名標は"IKOMASANJYO"となる誤植(?)があったが、"Ikomasanjo"に直されている。
…さて、帰りましょうか。
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帰りも18きっぷを使いたいので、近鉄奈良線で新大宮駅に出て、徒歩でJR奈良駅へ。そこから木津で乗り換え、学研都市線に乗って大阪に帰りましたとさ。めでたし、めでたし。
霞ヶ丘駅(2016年夏撮影)
…結局、近いうちにまた来そうだが(笑)
駅レポート 新改駅
こんにちは。クモミヤです。
前回の続き、土讃線・新改駅の訪問記です。
前回:
訪問:2016.8.6
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土佐北川駅から新改駅まで30分ほど。土佐北川からは高知方面に戻るカタチになるので、この区間の通過はこれで3度目になる。
…特に、書くことないな(笑)
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新改駅・ホーム。やはり乗降口付近のみ嵩上げされている。
着発線の行き止まりの方まで向かって撮影。同じスイッチバックの坪尻と違い、本線との分岐から距離があるため、通過列車や配線の全貌をホームから見るのは不可能である。普通列車もここまで入ることはないようで、レールがさび付いている。
着発線の行き止まりまで行ってみた。砂利が盛ってある第1種車止めである。ホームがおよそ3両対応なのに対し、5~6両以上は入線可能であろう。
かなり奥まったところにある車止標識。なにげに電照式である。が、いかんせんホームから遠いので、夜間に車内から見えるかは疑問である。。
ちなみにこの裏に線路があったような路盤はなさそうだった。長らく車止めはここにあるようだ。
駅舎の待合室。坪尻と違い締め切りはできないが、そのぶん清潔で乾いた印象。トイレも設置されている。駅舎に置いてあった管理用のチェックシートによると、どうやら有志の手によって清掃が行われているようである。
駅舎。駅前には廃屋が1軒あるのみで、写真の撮影地点まで車道(高知県道253号・新改停車場線)が通ずる他は緑の山である。10分ほど徒歩で下ったが、民家は一切存在しない。
ご覧のとおりの山の中である。クルマで入れるだけ坪尻よりマシだが。と同時に割と開けているので、坪尻よりも眺望が利く。自然を満喫してる感満載である。ちなみに、川が近くにあった坪尻・土佐北川と違い、ここでは水音は聞こえない。
ホームの本線側から撮影。ホームの端はスロープになっており、こちらからもホームに上がれる。どうやら過去にホーム延伸があったようだが、単行の普通列車は駅舎寄りに停まるので、ほぼ使われていないとみていいだろう。
先ほどの地点から振り返って撮影。右手前方向がホーム、左手前が多度津方面の本線、右奥が高知方面の本線で、中央奥が折り返し線。
本線・多度津方面。緩くカーブしている着発線と違い、こちらは直線でトンネルに吸い込まれる。右に見えるコンクリの塊だが、階段がついていてホームのようだが、かなり短い(1両分程度)。坪尻にも似た構造物があったが、何に使われていたのだろうか?
さて、大阪に帰りましょう。
写真は折り返し線より撮影。これからシーサスを通り右手に向かう。
左手前が高知方面、左奥がホーム。
駅舎と駅名標。
お疲れさまでした。
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土讃線に乗り、再び坪尻を通過。ちょうど普通列車同士の行き違いであり、この場合こちらは停車しない。その旨車内で放送されるが、果たして「ファッ!?坪尻に停まらないだと!?」と慌てる人は一体何人いるのだろうか…?
琴平から電車になり、坂出でふたたびマリンライナーに乗車。ふたたびの瀬戸大橋である。
意外と橋の撮影ってムズカシイのね(^^;)
今度は223系側が前面となり、瀬戸大橋の全面展望が利く。キッズと共に運転台後ろに張り付く大学生は、キッズの母親にどう映ったのだろうか…?
橋の途中、海の上はこんな感じに鉄橋、
そして島の上はこんな感じでコンクリ造りである。将来は複々線にして四国新幹線を通せる構造らしいが、果たしてどうなるのやら…。
もう夕方である。
さよなら四国、またいつか。
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こうしてマリンライナーで岡山に戻ったころには既に日も暮れ、夕食を済ませたあと赤穂線経由で帰宅。しっかり満足して帰ってまいりました。
シメに桂浜・坂本龍馬像。
天気が良くて良かった。
~完~
駅レポート 土佐北川駅
こんにちは。クモミヤです。
前回の坪尻駅に続き、土佐北川駅を訪問したので書き残します。
前回:
訪問2016.8.6
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坪尻駅を堪能した後、高知まで移動、そして駅近くのネットカフェで一泊。
フラットなブースを使え、狭いながらも横になって寝ることができた。ただし照明は消せなかったので、アイマスクがあればもっとよく眠れたかもしれない。
翌朝、せっかく高知に来たのだからと始発のバスで桂浜に行く。滞在時間は1時間ほどだったが、太平洋が見れて元・奈良県民はご満悦であった。
ちょうどポケモンGOが配信されてまもなくだったため、スマホ片手にポケモン捕獲に勤しむ人もちらほら。朝早くからご苦労様です。
高知に戻り、土讃線の列車にはまだ時間があったので、とさでん交通の路面電車にも乗ってみた。土讃線の伊野~高知~御免とおおよそ平行しているので、時間つぶしにちょうどいい。高知駅前からはりまや橋で乗り換え、後免町方面へ。てっきり後免町駅とJR御免駅は近距離かと思っていたが、土佐くろしお鉄道でひと駅分あるのね。18きっぷは当然使えないので出費となるが、まあいいだろう。
僕は併用軌道でもテンションの上がる男である。路面電車はそこかしこにあるモノではないしね。国道の広い道の真ん中を通ったり、併用軌道が道の片側に寄っていて停留所が車道とかぶっていたり、と線路自体は見ていて飽きが来ない。
終点・後免町駅はローソンの裏手にある。写真の真ん中に見える青い屋根が路面電車である。目立たねえなおい。他の乗客ははりまや橋から数個の停留所で皆下りてしまって、僕だけが下車する。だれも乗る人もいない。本当に大丈夫かコレ? 昼前の時間帯で乗客がたまたま少なかっただけであると思いたい……。
そして至近の土佐くろしお鉄道・後免町駅からひと駅で土讃線・御免駅で乗り換え、高知平野を去る。途中の土佐山田などで長時間停車しつつ、目的地・土佐北川駅に到着したのだった……
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土佐北川駅・ホーム。
島式の交換可能駅だが、両開き分岐器を採用しており1線スルーではないようだ。ホームは広くなく、対応は3両。屋根も短いが、逆に言えば開放的かもしれない。ホームからは穴内川が一望でき、両側にそそり立つ杉林と青空のコントラストが美しい。前日の坪尻よりも眺望が利くので余計にそう見える。
ホーム高知方にある階段を降りたところに待合室がある。写真左手をのぼる階段がホームに続く階段で、後方が駅の出口である。待合室は扉が閉め切れるのだが、羽アリが大量にいて中に入るのは躊躇われた…。中にはベンチと時刻表がある。なぜかお遍路の傘も置いてあった。
橋の下から出ると通路が二手に分かれる。写真左がホームの方向、後ろ(多度津方面)が線路と一緒に穴内川を渡る通路となっており、写真にあるのが線路(高知方面)に沿って川の側壁にへばりつくような通路である。とんでもないトコロに通路を作ったもんである…高所恐怖症の人にはキツイかもしれない…。
穴内川をまたぐトラス橋それ自体が土佐北川駅である。川を跨ぐ駅というのはちらほらあるが(阪神本線・武庫川駅など)、トラス橋なだけで迫力は十分である。
開業時は写真右後方、穴内川の右岸に沿って線路があったようだ。トラスに「1983 日本国有鉄道」の文字があったので、このころ新線に切り替わったのだろう。旧駅・新旧分岐点の場所ははっきりせず、詳しくは見ていない。右岸に目を凝らすと杉だらけの森にコンクリの護岸が見えるなど、旧線の名残のようなものはわかるような…廃トンネルもあるそうなので時間と体力と装備があればよかったのだが…
穴内川左岸に沿って国道32号線が走っており、写真の看板から穴内川を渡ったところに駅前広場がある。坪尻と違ってパーク&ライドは容易だ(というか、同様の看板がしれっと獣道を指している坪尻が異常なのである)。付近に民家や茶屋もあり、秘境駅という風情ではない。…だからといって都会の駅という訳でもないが。田舎の小駅というか、田舎の妙にゴツい駅というか…そんな感じである。
またいつか。
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1時間というものはあっという間である。ほどなく現れた下りの普通列車に乗り、今回の最終目的地・新改に向かっていった…
駅レポート・新改駅に続く
駅レポート 坪尻駅
こんにちは。クモミヤです。
訪問日:16.8.5
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大阪から18きっぷを使い、高知で一泊。途中で経由する土讃線にある有名な駅を3つ訪問するのが今回の目的である。
大阪から山陽本線経由で2時間半ほどで岡山に到着。途中の相生までは、大阪近郊でよくみられる223系電車に揺られていたが、相生からは黄色の115系で岡山に到着。いつもと違う電車、滅多に来たことが無い岡山。そしてここからは、快速マリンライナーで四国に渡る!瀬戸大橋・瀬戸内海を目前にして、元・奈良県民の僕のテンションは上がっていた。海のない奈良県に住む人間は、たとえ琵琶湖でさえも「海や!」とテンションの上がる生物なのである…。
これこれ! 快速マリンライナー・高松ゆきである。
この車両に乗りたかったのだ!大きな窓からの 瀬戸内海!期待は高まる!
先頭車はグリーン車。グリーン券なんて持っていないので、2両目に移る。
そして2両目より後ろが…まさかの223系。1両目だけがカッコイイ顔の車両だった…。
元・奈良県民なので、カオスな編成には慣れている。奈良県民が多く使う近鉄(近畿日本鉄道)は、新車と旧車が連結されていたり、車体色の違う系統を連結したり、2両編成を5個つなげて10両編成にしたり(通称:ブツ10。ブツ8、ブツ6、ブツ4なんてのもある)、といったことが日常茶飯事なのだから。
しかし、1両目だけ別の車両というのには度肝を抜かれた。なんという顔面詐g…もとい連結だろうか、、、しかも何も関西人おなじみの223系でなくてもええやないか…
ちなみに、正確には5両編成の岡山寄り2両がJR西日本223系(5000番台)、高松寄り3両がJR四国5000系らしいが、グリーン車の高松寄り1両以外はパッと見223系と同一に見える。
とはいえ、223系なので130km/hで瀬戸大橋を通過、その窓から見える海はキレイでした。小並感。
往路は写真をあまり撮っていなかったので、復路の写真もまた今度上げるつもりです。
宇多津の壮大な三角線を見つつ、坂出に到着。ここから予讃線で多度津に出て、今回のメインディッシュ、土讃線の気動車に乗り換える。
途中、坪尻の一つ手前、讃岐財田駅付近で豪雨に見舞われたが、県境の猪ノ鼻トンネルを抜けると晴れてくれた。国境の長いトンネルを抜けると、何とやらである。
坪尻に近づくにつれ、かなりテンションは上がりつつあった。こんなにワクワクするのは久しぶりだ。
大阪からおよそ5時間、多度津からおよそ1時間、スイッチバックを経て、坪尻駅に到着である。顔面詐欺はもうゴメンだ。一体どんな駅なのか…?
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坪尻駅・駅舎。
木造駅舎が残っている。重厚さはあまり感じないが、風格は十分である。
「坪尻駅」の表示は、部品が取れてしまったところは書き足されている。つぎはぎになっているが、修理されているあたり、来る人を迎えようという意志が感じられる。「秘境の駅」の貼り紙もされているが…ちょっとこの貼り紙は興ざめかも。
待合室のみ解放されており、トイレはあるが使えなかった。駅舎の右側部分には畳の部屋があるが立ち入りできない。何かの詰め所を兼ねていたのかもしれない。
坪尻駅・ホーム。
ワンマン列車の乗車口の部分のみ嵩上げされており、そのほかの部分は砂利が敷いてある。砂利敷きのホームは初めて見た。ヒビ割れたボロいコンクリートよりもよっぽどマシでキレイだ。
ホームのある線路が着発線であり、手前側が行き止まりになっている。左側の特急が通っている線路が本線であり、特急などの通過列車はホームに入らず本線をそのまま通過する。手前が多度津・高松方面、奥が高知方面。画像は特急「南風」。
こちらは高松方面を向いて撮影。本線が右にカーブした先に坪尻トンネルがあり、その先が県境の猪ノ鼻トンネルである。
見事に周りには何もない。人家がない。車道もない。舗装路もない。山ばっか。本当に山の中。線路と駅以外、ぜんぶ山。
駅舎を出るといきなりこの光景である。駅前からして未舗装である。
直進する獣道が存在するが、踏み入れていない。左90度の方向で線路の高知方面に沿って歩くと、坪尻踏切を経て国道32号に出られる。
このあたりはもともと川だったらしく、マムシがよく出没するそうだ。事実、駅前に立て看板が3つ、駅舎にも注意書きがある。僕は幸い遭遇しなかったが、くれぐれもご注意を。
駅名標。ナンバリングもされている。
坪尻踏切。
駅のすぐ南側(高知側)にある。本線と着発線の双方をまたぐ第4種踏切。
踏切警標の支柱には通過列車の時刻表が取り付けられている。見通しがあまり利かないので、この時刻表は助かる。
坪尻踏切の遮断棒(?)。
手で押すと斜め上に上がるカタチで通れ、手を放すとこの位置に勝手に戻る構造になっている。わりと最近作られた?
ところかわって駅最寄りの国道32号線。
坪尻駅の案内標識と坪尻バス停がある。交通量はそこそこあって、歩道が無いので歩くのには向かない。
で、駅前道路がこちら。ガードレールの切れ目から下ってゆく。
最初だけ路肩がコンクリである。左手はガケ、右手上方にはさっきのバス停がある。
そしてこんな道になる。舗装?擁壁?何それ?食えんの?
落石と落ガスボンベと落冷蔵庫の洗礼を受ける。
倒木の洗礼も受ける。
こんな道である。国道・線路からも遠く、崖下に滑落したらしばらく見つけてもらえそうにない。
(写真は国道方向を撮影)
気づけばえらい山ン中。近所に川が流れており、水音が絶えず聞こえる。
たまに列車の音が聞こえるので、ここが駅に続く道と認識(?)できる。
ヘアピンを使いつつ谷底へ下りてゆく。勾配もキツイ。左奥が駅の方向。
廃屋がある。ここまでくれば駅は近い。
(写真は国道方向を撮影)
廃屋から少しで坪尻踏切に到着。
駅から国道までおよそ30分ほどである。が、斜面を切り取って道を作った部分が多く、安易な通行はキケンである。くれぐれも注意を。
特に登山用具を持たず半袖短パンで通行してみたが、草の間を抜けるところもあり、夏でもできれば長袖長ズボンがほしいところだ。足元に落ち葉・落石が多く、崖っぷち・急勾配の道であるため、サンダルでの通行は全く勧めない。
坪尻駅のホームの高松寄りから見上げる。
上に見える橋がおそらく国道32号線である。大型車が通ると微かにクルマの音が聞こえる程度。
あそこからここまで下ってきたのである。…遠い。
待合室には数冊のライトノベルが置いてある。
停車列車の少ない坪尻駅でも、待ち時間は退屈しなさそうだ。
…しかし、なぜ持参した時間つぶし用のラノベと被ったのだろう?
まさか坪尻駅に置いてあるとは思わなかったよ……
置いてあった駅スタンプ。持っていた手帳に押してみた。
このスタンプは一度盗難に遭ったが、見つかって戻ってきた、という趣旨の貼り紙がしてあった。発見して坪尻駅に戻してくれた方に感謝。
待合室には他にも、時刻表、運賃表といった駅機能に不可欠なものや、駅の紹介や過去の写真といった様々な掲示がある。長椅子のベンチもあり、締め切り可能な待合室なので駅寝も可能である。きちんと管理されている駅だが、自動券売機などは存在しない。
らぶらぶベンチ。
ホームに設置されている。そこそこ急なV字型のベンチであり、座ると重力により中央方向への力が働き、そのおかげでらぶらぶになれる仕組みになっている。駅舎の軒下なので雨にも濡れない。
周囲には誰もいなかったため、手に持っていた爽健美茶(600ml)とらぶらぶしようか考えたが、アヤシイ男が爽健美茶とらぶらぶする光景はあまりに痛々しいと判断し、やめた。周囲には誰も居なかったが。
ちなみにホームにはもう1基ベンチがある他、待合室にも2基あるので、この駅での列車待ちの際にらぶらぶする義務はない。
「たいへんよくすべるベンチですので、くっつきすぎに ごちゅういください」
果たしてここで くっつきすぎた 人たちは何人いたのだろうか?
イラストもちゃんとスイッチバックになっていて、普通列車が特急「南風」を退避している。芸が細かい。
僕が下車する際も清掃員の方と入れ違いになった。待合室もホームも十分手が入れられており、随所にJR四国のやる気が感じられる。ここは棄てられた駅では断じてない。
普通・阿波池田行き。
さて、高知に向かいましょうか。
お疲れ様でした。
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こうして2時間の坪尻駅滞在の後、阿波池田で高知行きに乗り換え、数多くの行き違い・特急退避を経て、坪尻を出てからおよそ3時間後、高知駅に到着した。
駅レポート・土佐北川駅に続く。
本日のアタマ。(大学生と下宿)
こんにちは。クモミヤです。
今回は大学生の今、下宿することについて書きます。
大学生は下宿すべきか? という問いに、僕は迷わずイエスと答えます。
なぜなら、大学生の一人暮らしは生活の維持が簡単だからです。
まず、時間があること。時間に追われる(であろう)社会人に比べて、大学生は時間が十分にある上、しかも融通が利きます。大学の授業コマ数は自分で決められますし、僕の場合、18時まで授業があるのが週1回で、あとは16時ころには帰宅ができます(これは文系学生だからかもしれませんが…)。最終奥義「自主休講」も(単位を犠牲にしない程度までなら)発動できます。大学生は、融通の利く時間をたくさん持っています。
次に、家族の構成員が自分だけなので、家事が大した労働でないこと。配偶者や子供がいればそれに合わせて家事をする必要がありますが、大学生ひとり暮らしにはその必要がありません。炊事洗濯のタイミングも自由自在。よく「下宿かぁ…。料理とか大変やろ~?」なんて言われますが、僕の場合、特に大変と思った時がありません。食べたいモノがあれば、大学帰りにスーパーで食材調達、さっと料理して食べますし、料理する気が無ければ近所の店や大学の食堂でチョイと食べれば済むハナシ。洗濯だって必要に応じて適宜すればいい。生活が崩壊しない程度に、適宜家事はこなしていけば大学のうちはなんとかなります。むしろ自宅生が毎日通学している方が大変でしょ?と思います。慣れてくれば、(下宿生の1日あたり家事労働時間+通学時間)<(自宅生の1日あたり通学時間)なんてラクに達成できますし、その頃には段取りの立て方も上達しています。大学生は時間にも余裕があるためにハードルもかなり低めであり、むしろ自宅からの通いよりも下宿の方がラクでしょう。
そしてもう一つ、大学生であるイマの経験が将来の指針になると僕は信じています。少し客観的な視点に立てば、「自分はどんな人間か?」について様々な角度から知ることができるからです。月にどれくらいの金額があれば自分は十分暮らしていけるのだろう? 何時に寝て、何時に起きればしゃっきり大学に通えるのだろう? 洗濯、食事は何時くらいにするのが自分にとってベストか?どんな段取りですれば効率が良いか? などなど。こんな疑問は、アタマで考えるよりも実践してみてその体験をもとに考える方がよくわかります。例えば、自主休講1回による代償は、自主休講を1回しなければわかりません。そして、その実践のせいで多少失敗したって、自分の考えの未熟さを学べる上、大学生である今なら(相当な大失敗でもない限り)挽回もまだ簡単にできます。「自分はこんな風にするとうまくいかない」or「こんな風にすればうまくいく」という感じに、「自分はどんな生活をするどんな人間か?」なんてことを考える機会が、下宿生活だとゴロゴロ転がっています。特に、生活費の切り口から自分を見ることができるのは下宿生の特権といっても過言ではないでしょう。少なくとも、親にすべての家事をぶん投げてダラダラと生活する大学生よりもよっぽど有意義な学生生活を送れます。
下宿生は、生活ラクな分自宅生に比べて余計にお金がかかってきます。ひとりぶんとはいえ、2軒ぶんの生活費がかかるわけですから、(自宅生の定期代+小遣い)<(下宿生の仕送り)なのは明らかです。ですが、先述のように、その投資ぶん以上に経験できること・勉強できることは多くあります。僕だって投資に見合った分以上に成長した姿を親に見せつけてやるつもりです。せっかく親が少なくない金額を出して僕に一人暮らしをさせているのですから、今しかできないことを全力でしなければもったいないですしね。お金がかかるのは下宿のデメリットですが、プライスレスな様々な経験をすることができるかが下宿生の腕の見せ所ともいえるでしょう。
~今回のまとめ~
①大学生なので時間がある
②一人分なので家事負担が少ない
⇒生活の維持は割と簡単にできる
+様々な経験が自由にできる
⇒学生の一人暮らしは簡単、かつ得るものが多い
(ここで様々なことを得られるかがポイント)
ここまで読んでいただきありがとうございました。今回はこの辺で。
本日のアタマ。(逆転裁判6感想)
こんにちは。クモミヤです。
逆転裁判6のプレイもDLC含めて終えたので、感想を。ネタバレも込みで書いていくので、未プレイの方は要注意!
新しい舞台・クライン王国に、新システム「御霊の託宣」、と新要素を入れてくるのはシリーズ物なので当然ですが、新キャラのどこかに過去作キャラを匂わせる要素が混じっていてニヤリと来る場面があって、ちょっとした隠し味チックでおもしろかったのが、今回の好印象の要因だと思います。
わかりやすい物ならば、ナユタ検事と御剣検事(初対面と見せかけて主人公の弁護士と顔なじみ)とか、トノサマンとトリサマン(パクリに近いレベルでそっくり)とか。
ほかに細かいところなら、ポットディーノ・ニカワスの豹変シーンが『5』の一路真二の豹変シーンと重なったり、みぬきの泣き顔で狩魔冥を思い出したり、傘と双子で菜々野美々&輝々が『3』の美柳ちなみ&葉桜院あやめを思い出したり、姉妹で霊力のある・なしが分かれてしまったアマラ&ガラン姉妹と綾里舞子&キミ子姉妹などなど。
他にも過去作キャラの復活で綾里真宵・宝月茜・或真敷一座も登場してくれて、逆転裁判好き人間としてかなり満足のいく作品でした。あんまり新要素ばっかりで埋められても、過去作とのギャップに苦しんでしまいますし。個人的にはDLCで『1』『2』『3』でおなじみの綾里千尋・イトノコ刑事あたりも欲しかったけれど、特別編の中で少しだけ言及があったのでまあ、、次回作に期待です。
今作のストーリーはかなりヘヴィで、崖っぷちっぷりが過去作に比べて際立っていたように思います。1話からいきなり生命の危機に瀕する成歩堂。2話は事務所が差し押さえられる危機。3話で再び成歩堂&真宵が生命の危機にさらされ、革命を成し遂げるべく王泥喜が戦う、非常に長い5話。4話は短めで、夕神&ココネのコンビで癒される(ほかに比べたら)お気楽な回ですが、それだけ全体的に濃いめのストーリーでした。
『5』はヌルゲー感に対する批判が多かったようですが、今作は操作の感じも悪くなく、オプションで未読のセリフもスキップができるようになりました。すでに見たアニメーションのスキップも可能、ヒントや強制移動も前作よりは控えめで、ストレスは特に感じませんでした。
ただ、1日で完結する話が多く、裁判パートが過去作に比べて1回が長いのが多かったです。シリーズでよくある、「裁判中に出た疑問点を探偵パートで探し出す」展開は特別編だけでしたし。個人的には、探偵である程度真犯人の目星をつけた上で法廷に臨み、そこで真犯人を引きずり出す展開が好きなので、法廷でコロコロ主張が変わって長引くと疲れてしまうんだよな……
今作で「W主人公」と挙げられていた成歩堂龍一・王泥喜法介のふたりの活躍も良かった……のですが、今作はどちらかというとオドロキくんの方にチカラが入っていた印象です。
あの10数メートルのガケから急流に転落しても風邪だけで済んだナルホドくんが腰痛でダウンしたり、人質を取られたとはいえ小物政治家の側についたり、とちょっと株を下げてしまった感があったナルホドくん。それに対し、最終話で操作キャラになり、ピンチの上司を助け出し、そして親の遺志を継ぎナユタ検事と共にクラインで革命を達成すべく戦うオドロキくんの方が良く映ったような。
が、ナルホドくんの方も最終話でオドロキくんの補助にまわり、部下を信じ部下の独立を見届ける、『1』『2』『3』の千尋さんの「師匠キャラ」とはまた違った「上司キャラ」を演じてくれたので、一人の登場人物として存在感を出してくれたように思います。
一方、復活で話題になった真宵ちゃんは、本編ではちょっと印象薄めな感じ。「逆転姉妹のテーマ(事務所で真宵ちゃんと話すときの曲)」のアレンジは『1』風で非常に良かったのですが、助手として動いたのは3話の法廷のみで、聴くタイミングが少なくて残念。
ですが、特別編ではしっかり助手をこなしてくれ、テーマを聴ける場面が多くてひと安心。本編ではチョイ出だけだった御剣検事も特別編でキレッキレの検事姿を拝めたので満足です。
次回作があるならば、「オドロキくんクライン編!」とか、うまくストーリーがまとまったので「心機一転で新キャラのみ!」とかを期待。かなり過去作に比べて舞台がぶっ飛んできたので、次回作はどんなふうに出てくるか、ぶっ飛びすぎないか、ちょっと心配です。……とはいえ、次回作が出るまでアニメでも見ながら気長に待ちたいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。今回はこの辺で。